東日本大震災から9年!大阪市営バス職員の決断「道さえあればバスは走れる」その決断に日本中が胸を熱くした! | あそびブログ

東日本大震災から9年!大阪市営バス職員の決断「道さえあればバスは走れる」その決断に日本中が胸を熱くした!

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2020年3月11日の東北地方大震災発生から丸9年が経ちました。この災害で多くの方々の命を奪い、そして人々の安心の日常を奪い去りました。

こちらの写真は震災後の翌々日の3月13日、宮城県仙台市で撮影された写真です。そこには雪が降る中、ガレキの間を走る2台のバスが写っています。

でも、撮影場所は仙台市のはずですが、そのバスには「大阪市営」と書かれています。

Youtube/oneclickfiles

なぜ仙台に大阪のバスが…?

これは震災直後、各避難所から医療施設や商業施設、自衛隊設置の入浴施設へ向かう路線が多く開設されたため、ボランティアセンターや復旧現場へ関係者を運ぶ貸切車両も頻繁に運行されるなど、多くのバスが急遽必要になってしまったためです。

そのため、仙台市は大阪市交通局へ要請を出し2台のバスが駆けつけてくれたのです。

震災発生から12時間後の早朝に、大阪市交通局に仙台市から支援要請が入りました。早朝にも関わらず、迅速に運転手を手配し、大阪市の備蓄倉庫にあった支援物資の乾パンと毛布も用意しました。

ただ、要請を受けたのは土曜日で、市営バスを派遣するには関係省庁の許可をもらう必要があり、その許可を申請できるのは次の月曜日…

あなたもご存知の通り被災状況は日に日に悪化するばかりで、月曜日まで待っている時間などなかったのです。

そこで勇気ある職員は関係省庁の許可なくバスを送り出すことを決意、そして「許可も必要やけどそんなこと言ってる場合とちゃう、関係省庁からは帰ってきてから一緒に怒られましょか」と決断したのです。

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こうして先遣隊として管理職1名及びバス運転手6名と台市交通局における地下鉄の被害状況等を確認するため、土木職員1名、そして毛布1,800枚、乾パン1万食を積めるだけ詰め込んで仙台市へ向かいました。

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もし市営バスに乗ったことがあるならご存知かと思いますが、バスには運転席以外にシートベルトはなく、シートベルトがない路線バスは高速道路は使えないのです。そのため仙台市まで約850キロを16時間かけて一般道で走ったのです。

無事仙台に到着後、支援物資は各地の避難所に即座に届けられ、そしてバスはその後、現地で人員輸送部隊として活躍しました。

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大阪市交通局の「道さえあればバスは走れる」「今できることをしよう」「被災地の役に立てたら」と、人々を助けることを最優先にした決断が多くの方を救い、職員たちの熱い気持ちが伝わってきました。

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その後、2台のバスはが岩手県釜石市へ無償で譲渡され、工事関係者の輸送手段として数年にわたり使われたそうです。

被災地を走る大阪市バス

大阪市営バスの他にも、日本バス協会の呼びかけによって日本各地から、小田急バス、京王電鉄バス、横浜市交通局、名鉄バス、岐阜バス、濃飛バス、名古屋市交通局、近鉄バス、尼崎市交通局(当時)、ジェイアール四国バスなどが東北へ向かい、バスの無償提供は合計で約150台にも及び、なんとその多くは今も現地を走るバスとして健在とのことです。

震災から9年が経つ今でも、災害時にバス事業者が互いに協力し合う流れが続いていて、昨年起きた台風19号によって甚大な被害を受けた福島県の郡山交通には、すぐさま東京都交通局から水没したバスの代わりになる車両が提供され被災地の人々を助けました。

雪の降る寒い中、大阪から仙台まで下道16時間走行にも関わらず、大阪市交通局の「困っている人を助けたい」というその一心で即座に動いた当時の職員たちの姿に日本中が胸を熱くしました。

震災から9年、私たちの課題はいつもでも忘れず、手と手を取り合いお互いを励まし合っていくことなのではないでしょうか。

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