今月の18日に大阪市中央区にある大阪メトロ御堂筋線の心斎橋駅で「駅のホームで焦げ臭いにおいがする」と連絡があり、御堂筋線は点検のため全線で一時運転を見合わせました。上下線計36本が最大2時間弱遅れで約21万4千人に影響が出ました。ただ、凄いのが、たったの2時間で運転が再開されるという対策の速さ。今では日本の技術は世界にも通用します。ただ、昔からそうだったわけではなく、昔の方の知恵を引き継いで今の技術があります。今回は、そんな大阪のメインとも言えるメトロ御堂筋線の歴史と着工当時の技術について調べてみました。
御堂筋線とは
大阪府吹田市の江坂駅から大阪市内を経て大阪府堺市北区の中百舌鳥(なかもず)駅までを結ぶ大阪市高速電気軌道 (Osaka Metro) の路線。正式名称は高速電気軌道第1号線、『鉄道要覧』では1号線(御堂筋線)と記載されている。駅番号を表す際に用いられる路線記号は「M」。北大阪急行電鉄南北線と相互直通運転を行っている。新大阪駅 – 梅田駅 – 難波駅 – 天王寺駅を直線的に結ぶ御堂筋線は、大阪初の地下鉄、かつ日本初の公営地下鉄として、都市計画学者の關一第7代大阪市長により計画され、1933年(昭和8年)に梅田駅(仮) – 心斎橋駅間が開業して以来、大阪市の主要な都市交通機関となっている。また、1990年代頃から、梅田駅 – 淀屋橋駅間は日本の地下鉄では最も利用者が多い(国土交通省駅間断面交通量調査から)。
wikipedia
御堂筋線の歴史
1933年5月20日に1号線 梅田駅から 心斎橋駅間が1両編成の単行運転が開業されました。昭和初期の不況の中で工事が始まったこともあって、失業、または景気対策で多数の失業者を雇用したとのことでした。ただ、工事は厳しい肉体労働で採用された方々も安定せず、工事は深刻な問題になりました。
また、作業面では、梅田駅付近の地質は悪く、当時の土木技術はそこまで発展していないため、大規模な事故にも見舞われました。ただ、こうした過程が今の日本の土木技術の向上に貢献することになりました。1933年当時はトレーラークレーンがなく、製造された車両は梅田駅から作業員または牛に牽かれ、御堂筋の平野町3交差点付近に開けた搬入口から降ろされ搬入したとのことです。
そんな作業員の方の努力の甲斐あって、現在では梅田駅で1日あたり440,974人、なんば駅358,624人、天王寺駅265,276人もの方々が快適に利用しています。
まとめ
1933年の着工当時はもちろん今のような技術はなく、作業もかなりの困難を極めたと思いますが今では大阪で一番利用者数の多いメトロになっています。
こういった歴史を知ることで、なんとなく利用していた方も愛着が湧くのではないでしょうか。また、大阪に行った際は御堂筋線に乗って旅をしたいものですね。
コメント